印象派の代表として有名なルノワールは、豊満な裸婦やパリジェンヌなど、女性や人物を主題に描くことが多かったイメージですが、生涯にわたって優れた風景画も沢山描きました。
ルノワールは美術学校時代からの同級生であった、モネや印象派のメンバーと共に屋外で制作し、同じ風景を描き、お互いに技術を高め合うことによって、『印象派』の技術を確立していきました。
今回は、そんなルノワールの描いた風景画についてご紹介します。
- 印象派を築き上げたルノワールの風景画
- ルノワールの代表的な風景画作品一覧
- 芸術橋
- 1867年のパリの縁日のシャンゼリゼ
- ブローニュ地方のスケーター
- パリ近郊のセーヌ川の洗濯船
- イギリスの梨の木
- 春のシャトゥー
- ポン・ヌフ橋
- 一陣の風
- パリのマラケ通り
- バス・ムドンの洗濯所のボート
- シャトゥーのセーヌ川
- 釣り人
- アルジャントゥイユのセーヌ川
- シャトゥーの橋
- 雪景色
- グラン・ブールヴァール
- 庭で日傘をさす女性
- 森の小道
- モンマルトルのコルトー街の庭園
- シャトゥーの漕ぎ手
- ワーグモントのバラ園
- 海景色
- ベルネヴァル周辺
- 小舟
- ぶどうを収穫する人々
- ワァルジュモンの風景
- 森の中
- 収穫
- ヴェネヴァルへの道
- 花咲く栗の木
- ヴェネツィアの大運河
- ヴェズヴィオス火山
- ヴェネツィアのパラッツォ・ドゥッカーレ
- アラブの祭り
- レスタックの岩山
- セントヴィクトワール山
- カーニュのテラス
- レ・コレットの農園
- まとめ
印象派を築き上げたルノワールの風景画
印象派の画家たちは光を求めて屋外で制作することが多かったため、作品数も風景画が一番多く存在しています。
コローやミレーなどに影響を受け、バルビゾン派が発祥したフォンテーヌ・ブローの森や、セーヌ川のほとりに印象派のメンバーと度々旅行へ出かけ、絵画制作や研究をしていました。
また、ルノワールとモネは生涯を通じてかけがえのない友人関係でしたが、屋外で同じ風景を描いた作品が数多く残されています。
1873年〜1874年にかけては、モネの家で隣同士同じ風景を描いていました。ルノワールは度々モネの家にも訪問し、共に制作をしており、同じ風景を各々の構図で描いています。
上の作品はルノワールの『アルジャントゥイユで制作するモネ』で、下がモネが描いた『ダリアの咲く庭園の片隅』です。
同じ場所で描かれた2枚の作品ですが、モネの絵画には花の柵や近所の家が描かれておらず、二人の男女に視点が誘導される構図になっています。
また、ルノワールの作品は、写実的にありのままの世界が描かれており、ルノワールとモネ、それぞれの画家の世界観によって見事に違う情景を描き出しています。
『印象派』誕生の記念すべき一枚。モネと描いた【ラ・グルヌイエール】
川面に太陽が当たって水面がきらめく風景は、印象派のメンバーにとって、魅力的な題材で、モネやルノワールなどの印象派のメンバーは、度々セーヌ川周辺や、パリ郊外の風景画を描いていました。
1869年の夏に印象主義の最初の完成作『ラ・グルヌイエール』を制作したときもほぼ同じ風景を同じ構図でルノワールとモネは同時期に描いています。
ルノワールとモネは、屋外で制作するうちに、キャンバスにほぼチューブから出したままの色を置き、速描で一気に描きあげる【ア・ラ・プリマ】という画期的な絵画手法を確率していきました。
この『ラ・グルヌイエール』から、初めて本格的な印象派の技法が確立していったのです。
ちなみに『ラ・グルヌイエール』とは、フランス語で、【カエルの住処】という意味だそうで、セーヌ川沿いで貸しボートなどを営業する観光スポット的な中の島でした。
ルノワールの代表的な風景画作品一覧
ルノワールが生涯描いた風景画の作品を、解説など交えながらご紹介していきます。
芸術橋
1867年,キャンバス,油彩,60.9×100.3cm,
ノートン・サイモン美術館,Wikimedia Commons
1967年にパリ万国博覧会が開かれた際に、賑わうパリの街並みを描いた作品です。
印象派のメンバーはパリの美し風景を求め、セーヌ川周辺で創作活動を行っていました。
川の水面に太陽の光が美しくきらめき、周辺の街は市民たちが行楽に訪れ、ピクニックやボート遊び、ダンスなど賑わい、画家の創作意欲を掻き立て、印象派のメンバーはこぞって町並みや木々、人々を描いてました。
1867年のパリの縁日のシャンゼリゼ
1867年,キャンバス,油彩,Wikimedia Commons
ブローニュ地方のスケーター
1868年,キャンバス,油彩,72×90cm,個人蔵,Wikimedia Commons
ルノワールは冬がきらいで、暖かい日差しが降り注ぐ夏や春の晴れた日の作品が多いですが、こちらは数少ない冬をテーマに描いた作品です。
一面雪景色の寒々しそうな情景ですが、人々はスケートで賑わい、楽しそうに雪遊びしており、ルノワールらしい作品となっています。
パリ近郊のセーヌ川の洗濯船
1871年,キャンバス,油彩,46.4×55.9cm,諸橋近代美術館,Wikimedia Commons
イギリスの梨の木
1871-72年,キャンバス,油彩,66.5×81.5cm,オルセー美術館,Wikimedia Commons
春のシャトゥー
1873年,キャンバス,油彩,59.6×73.7cm,個人蔵,Wikimedia Commons
ポン・ヌフ橋
1872年,キャンバス,油彩,74×93cm,
ワシントン・ナショナル・ギャラリー,Wikimedia Commons
『ポンヌフ橋』は、新しい橋という意味ですが、フランスで17世紀に作られたパリに残る最も古い橋になります。
1870年から71年に起きた普仏戦争の直後、戦後復興の象徴のように描かれました。右にはフランス国旗が描かれ、戦後とは思えないにぎやかで明るい風景に仕上がっています。
カメラがなかった時代で通り過ぎていく通行人をどのように描いたのかは、ルノワールの弟エドゥワールが通行人に話しかけて立ち止まらせ、その間にルノワールが素早くスケッチして描いたり、近くのカフェに居座ってスケッチしていたそうです。
一陣の風
1872年,キャンバス,油彩,52×82cn,
フィッツウィリアム美術館,Wikiemdia Commons
パリのマラケ通り
1874年,キャンバス,油彩,38×46cm,個人蔵,Wikimedia Commons
バス・ムドンの洗濯所のボート
1874年,キャンバス,油彩,50×61cm,クラーク美術館
シャトゥーのセーヌ川
1874年,キャンバス,油彩,50.8×63.5cm,ダラス美術館,Wikimedia Commons
釣り人
1874年,キャンバス, 油彩,54.1×65.2cm,個人コレクション,Wikimedia Commons
アルジャントゥイユのセーヌ川
1874年,キャンバス,油彩,約49×63.5cm,ポーランド美術館
シャトゥーの橋
1875年,キャンバス,油彩,51.1×65.4ccm,クラーク美術館
雪景色
1875年,51×66cm,オランジュリー美術館,Wikimedia Commons
グラン・ブールヴァール
1875年,キャンバス,油彩,52.1×64.5cm,フィラデルフィア美術館,Wikiemedia Commons
庭で日傘をさす女性
1873年,キャンバス,油彩,55×65cm,ティッセン=ボルネッサ美術館,Wikimedia Commons
森の小道
1876年頃,キャンバス,油彩,65.5×54cm,
ハッソ・プラトナーコレクション,Wikimedia Commons
モンマルトルのコルトー街の庭園
1876年,キャンバス,油彩,152×97cm,カーネギー美術館,Wikimedia Commons
1870年代にルノワールはモンマルトルに引っ越しました。『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』の舞踏場に近い場所だったためです。
こちらの庭園はルノワールの住まいの近くには花々や草が自然に生い茂る美しい場所がありました。
シャトゥーの漕ぎ手
1879年,キャンバス,油彩,81.2×100.2cm,ナショナルギャラリーオブアート,Wikimedia Commons
ワーグモントのバラ園
1879年,キャンバス,油彩,63.5×80cm,Wikimedia Commons
海景色
1879年,キャンバス,油彩,72.6×91.6cm,
シカゴ美術館,Wikimedia Commons
ベルネヴァル周辺
1879年,キャンバス,油彩,46×55.5cm,バーンズコレクション,Wikimedia Commons
小舟
1879年,キャンバス,油彩,71×92cm,ロンドン・ナショナルギャラリー,Wikimedia Commons
モネの作品を彷彿とさせるこちらの「小舟」は、セーヌ川でボートを漕ぐ女性や、遠くに列車が通り過ぎる瞬間を捉えた鉄橋、水面に美しく反射する建物や空のきらめきがルノワール独特のタッチで描かれています。
ぶどうを収穫する人々
1879年,キャンバス,油彩,54.2×65.4cm,
ナショナルギャラリー・オブ・アート,Wikimedai Commons
ワァルジュモンの風景
1879年,キャンバス,油彩,81×100cm,Wikimedia Commons
フランス北西部の海岸沿いのワァルジュモンには、ルノワールのパトロンのベラール家の別荘があり、ルノワール訪れた際に制作した作品です。
今までのルノワールの描き方とは異なる大胆な筆跡が特徴です。
森の中
1880年,キャンバス,油彩,55.8×46.3cm,国立西洋美術館,Wikimedia Commons
収穫
1880年,キャンバス,油彩,50.8×61cm,個人蔵,Wikimedia Commons
ヴェネヴァルへの道
1880年,キャンバス,油彩,50×61cm,バルベリー二美術館,Wikimedia Commons
花咲く栗の木
1881年,キャンバス,油彩,71×89cm,アルテ国立美術館,Wikimedia Commons
ヴェネツィアの大運河
1881年,キャンバス,油彩,54×65.1cm,ボストン美術館
ヴェズヴィオス火山
1881年,キャンバス,油彩,57.9×80.8cm,
クラーク美術研究所,Wikimedia Commons
ルノワールは1881年イタリア旅行に出かけ、明るい町並みと、美しい自然、そして巨匠ラファエロに大きく影響を受けました。
この旅行で、ルノワールの色はより鮮やかに美しい輝きを増すようになりました。
ヴェネツィアのパラッツォ・ドゥッカーレ
1881年,キャンバス,油彩,クラーク美術研究所,Wikimedia Commons
アラブの祭り
1881年,キャンバス,油彩,72×92cm,オルセー美術館,Wikimedia Commons
ルノワールはパトロンであったデュラン・リュエルの支援によって、金銭的な保証を得ることが出来たため、北アフリカにも長距離旅行に出かける事ができました。
この作品は、アルジェリアの風景で、ルノワールが今まで見たことない白を基調とした景色に感銘を受け、ルノワールの色彩に影響をもたらしました。
1900年にモネがこの作品を購入しており、ルノワールとモネはお互いに影響しあっていたことが伺えます。
レスタックの岩山
1881-82年,キャンバス,油彩,66.4×81cm,ボストン美術館,Wikimedia Commons
ルノワールは1882年、セザンヌを訪ねてレスタックに滞在し、セザンヌと共に風景画を制作しました。
セントヴィクトワール山
1888-90年,キャンバス,油彩,53×64.1cm,イエール大学美術館,Wikimedia Commons
セザンヌは人付き合いが得意ではなかったが、ルノワールの親しみやすい人柄がセザンヌと打ち解けることができたのかもしれません。
セザンヌが妻子と共に行き場を失ってルノワール宅に訪れて来た際も温かく迎えるなど、二人の間には深い親交がありました。
カーニュのテラス
1905年,キャンバス,油彩,46×55cm,ブリヂストン美術館,Wikimedia Commons
ルノワールは晩年持病のリューマチが悪化すると、医師からの勧めで暖かい南仏のカーニュに移住します。
晩年の赤みがかった暖かい色彩は、この南仏の明るい太陽と暖かい地中海独特の気候の影響がありました。
レ・コレットの農園
1915年,キャンバス,油彩,46×51cm,ルノワール博物館,Wikimedia Commons
ルノワールは晩年、カーニュにある『レ・コレットの農園』に描かれている郵便局のある建物に住んでいました。
1907年には、カーニュ川のほとりの丘の中腹にある広大なオリーブ農園を購入し、大きな家とアトリエを建築し、1919年に亡くなるまで制作を続けました。
『レ・コレット』と呼ばれた土地は、晩年には友人や若者の画家たちが訪れるにぎやかな豪邸でした。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回ご紹介したルノワールの風景画によって、ルノワールの描きたい世界をより身近に感じることができるのではないでしょうか。
自然と人を愛し、生涯にわたって美しい世界をキャンバスに描き出していった画家、ルノワール。
美術館でルノワールの風景画を鑑賞する機会があったら、ルノワールが目にした光や風を感じてみてくださいね^^!