モネの「睡蓮」の傑作は、モネの終の住処のフランスのジヴェルニーの自宅で、約40年以上の歳月をかけて作り上げた至上の楽園「水の庭」から生まれました。
モネの睡蓮の連作は約300点にのぼり、生涯制作した作品2000点近い中の7分の1の割合を占め、モネが晩年描いていた作品はすべて「睡蓮」でした。
モネが最後にたどり着いたモチーフ「睡蓮」は、仏教では「仏の悟り」を意味するシンボルです。また生命の源でもある「水」、そして水面に反射する「風景」という豊かな自然の調和を描き続けたのです。
そしてモネが生涯追い求め続けた絵のテーマである「移ろいゆくもの」を表現するためには「水」は欠かせないモチーフでした。
今回はそんなモネの代表作である「睡蓮」シリーズが描かれた背景や、モネを魅了したジヴェルニーの庭園について、モネが日本美術から着想を得て完成した東洋と西洋美術の融合、そして睡蓮が鑑賞できる美術館の情報などもご紹介します。
モネが生涯かけて見つめ続けた睡蓮と水の風景、その世界が描き出された圧倒的な魅力をぜひ味わってみてくださいね!
水を描き続けたモネ「睡蓮」の魅力を解説!ジヴェルニー庭園が生んだ傑作
「光の画家」と呼ばれたモネは、生涯にわたって移ろいゆく「光」「水」「色彩」が作り出す一瞬の景色を描くことに全集中し、亡くなる直前まで描いていたモチーフが「睡蓮」でした。
モネの描く風景に水面は欠かせないモチーフだったのですが、それは水面に反射する風景を描くことで、時間とともに移りゆく光と色彩の美しさを最大に表現することが出来たからなのです。
画家のマネは
「彼は水のラファエロだ。彼は水を、その動き、深さ、あらゆる時間について知っている」
「もっと知りたいモネ 生涯と作品」 東京美術 高橋明也監修 安井祐雄著 より
と称賛したほどでした。
そしてモネは43歳で見つけた理想的な終の住処であるジヴェルニーにて、亡くなる直前まで「睡蓮」の連作を300点近く描くことになります。
モネの睡蓮の連作は、モネの画家の集大成として最高傑作とされていますが、モネは、「睡蓮」を通して、光の変化と水面の揺らぎを繊細に描写することに成功したのです。
睡蓮の傑作が生まれた経緯について、詳しく深堀りしていきましょう!
モネの「睡蓮」はジヴェルニーの庭園から始まった
『睡蓮の池、冬』w.1392,
1895年,81×92cm,スイス、個人蔵,Wikimedia Commons
モネは1883年の43歳の時、子供たちの進学する学校探しと、広いアトリエで落ち着いて制作ができる家を見つけたいと思いながら、新天地を求め、各地をスケッチ旅行していました。
そして、ジヴェルニーという村に、モネの子供たちが通うのにふさわしい評判の良い学校があると聞き、訪れます。
それがきっかけで、モネはそのジヴェルニー村の理想的な風景に一目惚れしてし、移住を決意します。
画像はWikimedia Commonsより
ジヴェルニーはパリから西に70キロほど離れた小さな村で、美しい川が流れ、畑には巨大な積みわら、ポプラ並木、朝もやの幻想的な景色など、モネが描きたかった情景がすべて揃っており、まさにモネが理想郷としていた場所だったのです。
モネは早速りんご農家がりんごの加工場に使用していた廃墟の建物を見つけ、その物件を借りて移住し、終の住処をついに見つけたのでした。
クロード・モネ『日本の橋、ジヴェルニー』
w.1419
,189
5年,キャンバス・油彩, 78.7×97.8
cm, フィラデルフィア美術館
ジヴェルニーのモネの家について詳しくガイドされている動画がありますので、興味があったら見てみてくださいね!
モネのインスピレーションの源である「花の庭」と「水の庭」が完成する
初期の睡蓮は精密に描きこみがされ、深い緑が特徴で、画面に奥行きがある。
クロード・モネ『睡蓮の池』
w.
1512189
9年,キャンバス・油彩, 89.2×93.3
cm ,フィラデルフィア美術館,Wikimedia Commons
モネはその間、旅をしながら海辺の風景や積みわら、セーヌ川などの連作を描きながら、個展が大成功したことで経済的に豊かになり、お金持ちの画家になることができました。
元から園芸好きで知られていたモネは園芸雑誌を読み漁り、6人もの庭師を雇い、奥さんや、園芸好きな画家のカイユボットなどに協力を得ながら、理想的な庭園作りに打ちこんでいきました。
写真は『イリュストラシオン』誌の1927年1月号に掲載されたもの。
1890年になると、ついに農家から借りていた家と土地を購入することができ、四季折々の花が咲く「花の庭」を完成させます。
その3年後には、隣接する土地も買って、地元民の反対を何とか押し切り、小川から庭に水を引き、睡蓮が美しく咲き誇る「水の庭」が完成。「花の庭」と「水の庭」の2つの至上の庭園が完成しました。
写真はBiographie et catalogue raisonnéより
モネが初めて睡蓮を描いたといわれているのが、水の庭が完成してから2年後、1895年の作品とされています。初期の作品では、池と太鼓橋が描かれ、睡蓮は情景の一部として描かれています。
w.
1419a189
5年,キャンバス・油彩, 89×92
cm ,所在不明,Meisterdrucke
そして2年後の1897年にクローズアップされた睡蓮を描き、この頃から本格的に睡蓮の連作に取り掛かったのでした。
w.1504
,189
7年,キャンバス・油彩, 73×100
cm, マルモッタン・モネ美術館
,Wikimedia Commonsしかし同時期の1894年に、印象派時代から仲良くしていた園芸仲間の画家のカイユボット、その翌年にベルト・モリゾ、そして1898年にはモネの風景画を教えてくれた師匠のブータンなど、立て続けに友人や恩師の訃報が届きます。
この頃に描いた睡蓮の作品は暗い色彩で描かれており、モネの気持ちが落ち込んでいた印象を受けます。
w.1506
,189
7-98年頃,キャンバス・油彩, 89×130
cm, 鹿児島市立美術館
w.1507
,1897- 99年頃,キャンバス・油彩,
81×100
cm, ローマ、国立近代美術館
,Wikimedia Commonsモネが「睡蓮」をはじめとした連作を描くことにこだわった理由
モネが連作を描いていた理由の一つが、同じ構図で、同じ風景を違う時間帯で描くことで、移りゆく時の流れ、気温や天気の変化までその一瞬をキャンバスに描くことでした。
そしてもう一つモネが狙っていたのは、展覧会では、同じ絵を沢山並べることによって、購入者がわずかな構図の違いや太陽の角度、天候の変化など見分けてお気に入りの一枚を見つけるという、自発的に鑑賞してもらうことによって、購入意欲を高めることにありました。
確かに、お気に入りの服を買いに行くときなど、色々なバリエーションの色があると、自分に似合う一枚を選ぶ楽しみが生まれますよね。
アパレル業界では売上を上げるための定番の手法で、売れない色をあえて作ることで、定番の色の売れ行きが上がるという人間の心理的習性があるそうですが、モネはその時から絵画の購入者に選ぶ愉しみを提供して絵画の商売技術を心得ていたのかもしれません。
1900年に開かれた『クロード・モネ近作展』で描かれた『睡蓮の池』の作品一覧
1900年のモネの「クロード・モネ」近作展の個展には、『睡蓮の池』の連作が多数展示されていました。初期の睡蓮の作品は、太鼓橋や周囲の風景が描かれており、絵に奥行きがあり、鮮やかな緑の色彩が特徴的です。
作品ごとに、それぞれ微妙な気候の違いや光、描いた時間の違いを楽しむことができますね。こちらは睡蓮の池の連作になります。同じ部屋にすべて並んでいたのかと思うと、圧巻の光景ですね。
モネは連作を描くために、一度に5,6枚のキャンバスを時間帯ごとに変えて描き、アトリエで大量に同じ構図の作品を並べて仕上げを施していました。
もしもあなたが画商だったら、どの『睡蓮の池』を選びますか?
1900年,89×92cm,所在不明
1899年,90.5×89.7cm,プリンストン大学美術館
1899年,89×93cm,プーシキン美術館
1899年,81.3×101.6cm,ナショナル・ギャラリー (ワシントン)
1899年,88.6×91.9cm,ポーラ美術館
1899年,89.5×92.5cm,オルセー美術館
1899年,88.3×93.1cm,ナショナル・ギャラリー (ロンドン)
1899年,92.7×73.7cm,メトロポリタン美術館
1900年,90×100.5cm,オルセー美術館
1899年,89.2×93.3cm,
フィラデルフィア美術館
1899年,89×92cm,
アメリカ,個人蔵
1900年,90.2×92.7cm,
ボストン美術館
(画像はWikimedia Commonsより)
モネの睡蓮について詳しく学べる本
「睡蓮」の中に日本の太鼓橋が?!ジャポニズムがモネに与えた影響
w.1631
,1900年頃,キャンバス・油彩,
89
×92cm, 所在不明
,Wikimedia Commons睡蓮の初期の作品には、橋や柳といった、日本のモチーフを思わせるような風景が描かれていますが、これはモネが水の庭を作るにあたって、日本の美術にモネが大きく影響されていたからでした。
19世紀後半のパリは、万国博覧会開催の影響もあり、空前のジャポニズムブームだったのです。
クロード・モネ『ラ・ジャポネーズ』
1876年頃,キャンバス・油彩, 231.8×142.3cm,
ボストン美術館
,Wikimedia Commons日本は江戸時代に鎖国状態から開国したことで、フランスに日本の浮世絵や工芸品な日本の美術が大量に広まることによって、あまりの美しい日本の美術品の数々に多くの画家を魅了したからです。
主に浮世絵の斬新な構図や鮮やかな色彩表現は、モネをはじめ、ゴッホやマネ、ドガなどに大きく影響を与え、作品に日本の美術の斬新な色使いや構図を取り入れることで、さらに革新的な絵画が誕生したのです。
モネはそんな「日本の美学」に魅せられ、日本人の自然感を反映した庭園を作ることに成功します。
日本の浮世絵からヒントを得て造園されたモネの「水の庭」
1856年,
江戸百景
,錦絵でたのしむ江戸の名所モネが自称最高傑作と語っていた日本庭園の”水の庭”、そして初期の「睡蓮」に描かれている日本風の橋。
これは歌川広重の「名所江戸百景 亀戸天神境内」の作品に出てくる、日本の橋と呼ばれる「太鼓橋」がモデルになっています。
w.1630
,1900年,キャンバス・油彩,
90.2
×89cm, ボストン美術館
,Wikimedia Commons太鼓橋の上には藤棚、その周囲には日本の友人から取り寄せた菖蒲やかきつばたを植え、池には睡蓮が群生していました。また、池のほとりに柳や竹林など、日本の庭園をモデルに「水の庭」はつくられました。
太鼓橋は、東洋と西洋の美術が出会い、融合する象徴であり、自然と人工の調和を示す象徴だったようです。
1905年,Wikimedia Commonsより
1901年には、池を拡張工事し睡蓮の池が大きくなることで、舟で池に入れるようになり、庭師が手入れをしやすくなり、より睡蓮が映える景観になります。
モネ自身も庭園を手入れし、船に乗って池を観察する時間が、彼の作品に新たな発見やインスピレーションをもたらしたのですね。
1900年,キャンバス・油彩,
90.2
×89cm, アーティゾン美術館
,Wikimedia Commons前景に柳のように枝が垂れている「枝垂れ」の構図も、それまでの西洋絵画にはなかったもので、日本美術の影響がモネの作品の表現をより味わい深い趣に仕立て上げたことがわかります。
モネの作品に影響を与えた日本人の芸術観
モネは日本美術に大きく影響を受けましたが、浮世絵や日本画など、日本美術は、繊細な筆使いや和色は微妙な色の変化が特徴です。そして睡蓮も日本画のような独特なグラデーションや色使いが最大の魅力ですよね。
1907年,キャンバス・油彩,
80
cm径, サン=テティエンヌ・メトロポール近現代美術館
,Wikimedia Commonsまた、浮世絵には、遠近感をあまり感じさせない平面的な表現が特徴的であり、モネもこの技法を取り入れています。
1908年,キャンバス・油彩,
90
cm径, ヴェルノン、アルフォンス=ジョルジュ・プーラン美術館
,Wikimedia Commonsまた、睡蓮にはしばしば丸キャンバスで描かれた睡蓮が登場しますが、日本にも侘び寂びの文化で、寺院や和室に丸窓がありますが、これは禅の悟りを意味します。
1908年,キャンバス・油彩,
80
cm径, ダラス美術館
,Wikimedia Commons四角形のキャンバスは外に視点が広がる効果がありますが、トンド型形式と呼ばれる円形の画面は、鑑賞する人の視線を中心に吸い寄せる効果があります。
1909年のモネの個展に出品された円形の睡蓮は4点(うち1点は所在不明)ありましたが、内なる世界に凝集するモネの睡蓮も奥深い趣が感じられますね。
モネの睡蓮は視点が変わり、水面にフォーカスされていく
1903年,キャンバス・油彩,
8
1cm×100cm デイトン美術館
,Wikimedia Commons太鼓橋が描かれていたころの睡蓮は、奥行きが強調されていましたが、次第にモネの視点は睡蓮のみになっていき、徐々に視点が下へ移動していきました。
1897年から99年にかけて描かれた睡蓮の連作は、次第に橋や周りの風景が消え、水面に浮かぶ睡蓮と葉、水面が映し出す風景にフォーカスされていきます。
1909年に行われた「睡蓮:水の風景連作展」が行われる
1904年,キャンバス・油彩,
89.5×93.5cm マルロー美術館
,Wikimedia Commons1900年に続き、1909年に2回目の睡蓮をテーマにしたモネの個展がパリのデュラン=リュエルの画廊で行われました。この個展には48点の睡蓮の作品が展示され、視点がより池の水面にフォーカスされた作品が出品されました。
この頃のモネは、
「水と反映の風景に取りつかれてしまいました。年老いた私の手には負えないものですが、感じているものを何とか描き出したいと思っています」
「もっと知りたいモネ 生涯と作品」 東京美術 高橋明也監修 安井祐雄著 より
と語っており、睡蓮の浮かぶ水の反映する世界の虜になってしまっていたのです。
モネの【睡蓮:水の風景連作展】に出品された作品と関連作品一覧
1906年,キャンバス・油彩, 73×92.5cm
大原美術館
,Wikimedia Commons1906年に描かれた、上記の睡蓮は、日本の岡山県倉敷市にある大原美術館のモネの作品です。日本にモネを”睡蓮の画家”として広め、多くの日本人がモネの睡蓮といえばこれ!というイメージとして定着している一枚です。
こちらは大正時代に当時の芸大を卒業した画家の児島虎次郎が日本人に本物の西洋絵画を見てほしいという思いで、大正時代にモネのアトリエを訪れ、直接購入した一枚になります。
この頃のモネの作品は、正方形に近い四角いキャンバスは午前中、縦長のキャンバスに描いた作品が日没前後に描かれていた言われています。
光が水面にあたった時に水面に反映している木立の茂みが複雑で、毎秒ごとに違った表情を魅せているところに注目して見てみてください。
モネはその水面の表情を一筆一筆、滑らかに心地よいブラシストロークで見事に描き出しています。
1904年,キャンバス・油彩,
73×92cm マルモッタン・モネ美術館
,Wikimedia Commons1904年,キャンバス・油彩,
81×100cm 所在不明
,Wikimedia Commons1904年,キャンバス・油彩,
87.9×91.4cm デンバー美術館
,Wikimedia Commons1905年,キャンバス・油彩,
89.5×100.3cm ボストン美術館
,Wikimedia Commons1905年,キャンバス・油彩,
90×100cm 所在不明
,Wikimedia Commons1905年,キャンバス・油彩, 81×100cm
所在不明
,Wikimedia Commons1905年,キャンバス・油彩, 81.9×101cm
ウェールズ国立美術館
,Wikimedia Commons1906年,キャンバス・油彩, 89.9×94.1cm
シカゴ美術館
,Wikimedia Commons1906年,キャンバス・油彩, 90×100cm
所在不明
,Wikimedia Commons1906年,キャンバス・油彩, 81.6×92.7cm
ウェールズ国立美術館
,Wikimedia Commons1907年,キャンバス・油彩, 90×93cm
大山崎山荘美術館
,Wikimedia Commons1906年,キャンバス・油彩, 90×93cm
山形美術館
,Wikimedia Commons1907年,キャンバス・油彩, 81×92cm
ハートフォード、ワズワース・アテネウム
,Wikimedia Commons1907年,キャンバス・油彩, 92.1×81.2cm
ヒューストン美術館
,Wikimedia Commons1907年,キャンバス・油彩, 92.5×73.5cm
DIC川村記念美術館
,Wikimedia Commons1907年,キャンバス・油彩, 100×81cm
所在不明Wikimedia Commons
1907年,キャンバス・油彩, 101.5×72cm
イスラエル美術館,Wikimedia Commons
1907年,キャンバス・油彩, 100×81cm
和泉市久保惣記念美術館,Wikimedia Commons
1907年,キャンバス・油彩, 100.6×73.5cm
アーティゾン美術館,Wikimedia Commons
1907年,キャンバス・油彩, 105×73cm
イェーテボリ美術館,Wikimedia Commons
1907年,キャンバス・油彩, 73×92cm
個人蔵,Wikimedia Commons
1908年,キャンバス・油彩, 92×81cm
カリマノビュロス・コレクション,Wikimedia Commons
1908年,キャンバス・油彩, 90×87cm
所在不明,Wikimedia Commons
1908年,キャンバス・油彩, 101×90cm
東京富士美術館,Wikimedia Commons
1908年,キャンバス・油彩, 100.7×81.3cm
ウェールズ国立美術館,Wikimedia Commons
1908年,キャンバス・油彩, 94.8×89.9cm
ウースター美術館,Wikimedia Commons
晩年は「睡蓮」の集大成であるモネの超大作「大装飾画」を完成
クロード・モネ『睡蓮』w.1895
1917-19年,キャンバス・油彩, 99.7×201cm
ホノルル美術館,Wikimedia Commons
モネの作品はフランスだけではなく、アメリカでも熱心なコレクターによって、モネの人気や絵の価格は高まり、経済的に大成功を収め、財産は有り余るほどに豊かになりました。
しかしモネは画家として大成功したにもかかわらず、その後彼の創作意欲を喪失させる出来事が立て続けに起こり、1909年以降モネは創作活動が困難になってしまったのでした。
家族の死や目の病との戦いにより、創作意欲が喪失
はじめにモネを画業から遠ざけるきっかけになった出来事は、1908年、モネが68歳の時に視力に違和感を感じ、白内障を発症したことでした。夏の日差しの強い時期に集中して睡蓮の連作に集中し、目を酷使してしまっていたのが原因だったかもしれません。
そして、その後立て続けに
- 1910年:セーヌ川が増水し「水の庭」が壊滅的な被害になる
- 1911年:妻のアリスが死去
- 1912:白内障の診断を受ける
- 1914年:長男のジャンが病気で死去、同年第一次世界大戦が勃発
といった度重なる悲劇がモネを襲い、モネは完全に創作意欲が喪失してしまい、絵画制作が完全にストップしてしまいます。
1913年,キャンバス・油彩, 81×92cm
個人所蔵
モネが絵画制作を再開できたのは、1913年、劇作家のサシャ・ギトリ夫妻と造園仲間のミルボーの励ましによって、またモネが美しい庭園に興味を持ち、制作活動の原動力になるように働きかけたことでした。
1914-17年,キャンバス・油彩, 130×200cm
ナーマッド・コレクション,Wikimedia Commons
1913年に再び睡蓮を描いたモネは、巨大な睡蓮の連作を壁一面に描くという一大プロジェクトに取り掛かることになったのです。
この構想を形にするべく、モネはこの頃から2メートルを超えるキャンバスを庭に運び、大装飾画のための習作を描くことに集中していきました。ですので、晩年のモネ作品は巨大な作品が多く残されています。
晩年のモネが描いた「睡蓮」の大作の一覧
モネが大作の構想をスタートさせて間もなく第一次世界大戦が勃発。
モネの息子たちは兵役につき、戦火も自宅のジヴェルニーまで迫る中での制作となり、モネの作品は次第に筆のストロークは激しく、色味は暗い仕上がりになることもありました。
モネは祖国フランスのため、戦って亡くなった死者を思い、哀悼する姿を投影して、「枝垂れ柳」を描いていたとも言われています。今までにはない深く、暗い色味で水面が描かれている作品からは、モネの当時の心境が伝わってくるようです。
1914-17年,キャンバス・油彩, 166.1×142.2cm
リージョン・オブ・オナー美術館,Wikimedia Commons
1914-17年,キャンバス・油彩,160×180cm
所在不明,Wikimedia Commons
1914-17年,キャンバス・油彩,150.5×200cm
アサヒグループ大山崎山荘美術館
こちらの赤い睡蓮の作品は、日本のアサヒグループ大山崎山荘美術館に収蔵されている作品です。
手前の睡蓮は斜め上から見下ろした視点、奥の睡蓮は水平から見たような視点で描かれており、まるでセザンヌの作品のように、異なる視点で睡蓮が描かれています。
1914-17年,キャンバス・油彩,130×153cm
マルモッタン・モネ美術館,Wikimedia Commons
1914-17年,キャンバス・油彩,200×200cm
ヴィンタートゥール美術館,Wikimedia Commons
1914-17年,キャンバス・油彩,181×201.6cm
オーストラリア国立美術館,Wikimedia Commons
1916年–19年,キャンバス・油彩,140×150cm
所在不明,Wikimedia Commons
クロード・モネ『睡蓮とアガパンサス』w.1821
1916年–19年,キャンバス・油彩,140×120cm
マルモッタン・モネ美術館,Wikimedia Commons
1916年–19年,キャンバス・油彩,150×197cm
マルモッタン・モネ美術館,Wikimedia Commons
1915年,キャンバス・油彩,151.4 x 201cm
ノイエ・ピナコテーク,Wikimedia Commons
1917-19年,キャンバス・油彩,130×120cm
マルモッタン・モネ美術館,Wikimedia Commons
1917 – 19年,キャンバス・油彩,130.2×201.9cm
シカゴ美術館,Wikimedia Commons
1919年,キャンバス・油彩,101×200cm
メトロポリタン美術館,Wikimedia Commons
1917 – 19年,キャンバス・油彩,101×200cm
所在不明,Wikimedia Commons
1917 – 19年,キャンバス・油彩,100×200cm
個人蔵,Wikimedia Commons
1914 – 26年,キャンバス・油彩,3枚組 200×424.8cm
ニューヨーク近代美術館,Wikimedia Commons
1915 – 26年,キャンバス・油彩,201.3×425.6cm
クリーヴランド美術館,Wikimedia Commons
クロード・モネ『睡蓮(アガパンサス)』w.1976
1915 – 26年,キャンバス・油彩,200×426.1cm
セントルイス美術館,Wikimedia Commons
1916 – 26年,キャンバス・油彩,00.7×426.7m
ナショナル・ギャラリー(ロンドン),Wikimedia Commons
1915 – 26年,キャンバス・油彩,198 cm × 596.6cm
カーネギー美術館,Wikimedia Commons
すべては大装飾画「睡蓮」のために描いていた?!大装飾画の制作に取り掛かる
制作中の「睡蓮」の大作の前に立つモネ。
写真はWikimedia Commonsより
モネはかねてから巨大な部屋の壁面に睡蓮の連作を展示するという「大装飾画」の構想を温めていました。そして1915年にモネは、
私の歳を考えれば無謀かもしれない。しかし健康の許す限り私はあきらめない。これが私ずっとあたためてきたプロジェクトなのだ。水、睡蓮、そして木々が、大きな面に広がっているものを…。
クロード・モネ(シャルル・ケラクン当ての手紙より)図説 モネ「睡蓮」の世界 安井裕雄著 より
と述べているように、睡蓮の大装飾画を残された生涯の画業にし、アトリエを新たに建設し、制作に取り借りました。
絵画制作に本格的に復帰してからは2メートルは超えるほどのキャンバスで、総延長91メートルにも及ぶ巨大な睡蓮の大装飾画をモネは亡くなる直前まで描き続けたのでした。
フランスの戦勝記念に国家に寄贈された「大装飾画」オランジュリー美術館
モネは第一次世界大戦終結後、フランス政府に戦勝記念としてこれらの大装飾画を贈呈することを決め、作品はパリのオランジュリー美術館に展示されることになりました。
モネは合計22枚の巨大なキャンバスに8点の睡蓮の巨大な大装飾画を完成させ、当時の首相のクレマンソーによって、オランジュリー美術館を改装して飾るプロジェクトが見事完成し、画家の死から5ヶ月後に公開されます。
モネは特にこの美術館のために、モネが見ていたときと同じ自然光を取り入れ、視覚的に没入できるような楕円形の展示室を設計し、作品を取り囲むように配置しました。
この配置により、鑑賞者は360度の水面と空の風景に囲まれたような感覚を味わうことができるようになったのです。その規模と美しさから「印象派のシスティーナ礼拝堂」とも称され、見に来た人は圧倒的な睡蓮の世界へ没入することができます。
オランジュリー美術館のモネの大装飾画「第一室」展示作品一覧
1914 – 26年,キャンバス・油彩,200cm × 600cm
オランジュリー美術館(第一室),Wikimedia Commons
1914 – 26年,キャンバス・油彩, 200 × 1,275 cm
オランジュリー美術館(第一室),Wikimedia Commons
1914 – 26年,キャンバス・油彩, 200 × 850cm
オランジュリー美術館(第一室),Wikimedia Commons
1914 – 26年,キャンバス・油彩, 200 × 1275cm
オランジュリー美術館(第一室),Wikimedia Commons
オランジュリー美術館のモネの大装飾画「第二室」展示作品一覧
1914 – 26年,キャンバス・油彩, 200 × 850cm
オランジュリー美術館(第二室),Wikimedia Commons
1914 – 26年,キャンバス・油彩, 200 ×1,275cm
オランジュリー美術館(第二室),Wikimedia Commons
1914 – 26年,キャンバス・油彩, 200 ×1,700cm
オランジュリー美術館(第二室),Wikimedia Commons
1914 – 26年,キャンバス・油彩, 200 ×1,275cm
オランジュリー美術館(第二室),Wikimedia Commons
日本の美術館で見れる「睡蓮」作品の展示情報をご紹介!
日本でもモネの睡蓮に出会える美術館は多数あり、定期的に展覧会が開催されています。お気に入りの一枚を見つけに出かけてみてはいかがでしょうか。
国立西洋美術館(東京・上野)
モネの「睡蓮」の作品が数点展示。松方幸次郎が収集したコレクションの一部が所蔵されています。
画像引用元:国立西洋美術館, 「睡蓮」クロード・モネ, 1916年, 油彩・カンヴァス, 200.5 x 201cm
ポーラ美術館(神奈川・箱根)
モネの「睡蓮」が2点展示されています。ここではモネの他の作品や、印象派の代表的なコレクションを楽しむことができます。
画像引用元:ポーラ美術館, 「睡蓮の池」クロード・モネ, 1899年, 油彩・カンヴァス, 88.6 x 91.9cm
アーティゾン美術館(東京・京橋)
ここにはモネの「睡蓮」が2点展示されている他、モネの風景画の作品も展示されています。特に1903年の「睡蓮」は見どころの一つ 。
画像引用元:アーティゾン美術館,「睡蓮」クロード・モネ, 1903年, 油彩・カンヴァス
東京富士美術館(東京都)
八王子市にある美術館です。モネの「睡蓮」ほか、海辺の風景画2点が収蔵されています。
画像引用元:東京富士美術館,「睡蓮」クロード・モネ, 1908年, 油彩・カンヴァス, 101×90cm
DIC川村記念美術館(千葉県)
モネの「睡蓮」のほか、20世紀の美術を中心とした多彩な作品が展示されています。
画像引用元:DIC川村記念美術館,「睡蓮」クロード・モネ, 1907年, 油彩・カンヴァス, 92.5×73.5cm
和泉市久保惣記念美術館(大阪府)
モネの「睡蓮」が展示されています 。1907年に制作された縦長構図の睡蓮の連作15点のうちの一点です。
画像引用元:和泉市久保惣記念美術館,「睡蓮」クロード・モネ, 1907年, 油彩・カンヴァス, 100×81cm
アサヒグループ大山崎山荘美術館(京都府)
こちらはモネの「睡蓮」が3点所蔵しています 。2メートルにもわたる大きなキャンバスに描いた睡蓮や、珍しい赤い睡蓮も描かれた作品のほか、太鼓橋や海景の作品も所蔵しています。
画像引用元:アサヒグループ大山崎山荘美術館,「睡蓮」クロード・モネ, 1907年, 油彩・カンヴァス, 90×93cm
山形美術館(山形県)
山形美術館「睡蓮」を所蔵しています。現在展示していない場合もあるそうなので、事前に問い合わせください。
画像引用元:山形美術館,「睡蓮」クロード・モネ, 1906年, 油彩・カンヴァス, 81×92cm
群馬県立近代美術館(群馬県)
モネの晩年に描かれた抽象画に近い筆のタッチで描かれた「睡蓮」を展示しています 。
画像引用元:群馬県立近代美術館,「睡蓮」クロード・モネ, 1914-17年, 油彩・カンヴァス,131.5×95.5cm
大原美術館(岡山県)
倉敷市にあるこの美術館では、モネの「睡蓮」を鑑賞できます 。5月から10月にかけて美術館の池には、モネの家から株分けされた本物の睡蓮が見頃を迎えます。
画像引用元:大原美術館,「睡蓮」クロード・モネ, 1906年, 油彩・カンヴァス,73.0×92.5cm
地中美術館(香川県)
直島に位置し、モネの「睡蓮」の大作が展示されている美術館です 。
画像引用元:地中美術館,「睡蓮」クロード・モネ, 1914 – 17年, 油彩・カンヴァス,200×213cm
北九州市立美術館(福岡県)
こちらはモネが晩年に描いた「睡蓮」が展示されています。抽象画の先駆けと言われたモネの睡蓮に出会えます。
画像引用元:北九州市美術館,「睡蓮、柳の反影」クロード・モネ, 1914 – 17年, 油彩・カンヴァス,200×213cm
鹿児島市立美術館(鹿児島県)
こちらにはモネの初期に描かれた「睡蓮」を所蔵しており、展示されることがあります。
画像引用元:鹿児島市立美術館,「睡蓮」クロード・モネ, 1916-1919年年頃, 油彩・カンヴァス, 130.0×197.7cm
マルモッタン美術館のモネの睡蓮の展示が逆さまに展示されていた?
画像引用元:Meisterdrucke
1971年にマルモッタン美術館で、77年間モネの作品が上下逆さまに展示されていたという衝撃の出来事があり、話題になったことがありました。
東北大学名誉教授の西澤潤一氏がパリのマルモッタン美術館に訪れた時、上下逆に展示されているモネの睡蓮に気づいて、守衛にこっそり伝えたところ大騒ぎになったそうです。
1914-17,キャンバス,油彩,71×100cm,アメリカ、個人蔵,
画像引用元:Meisterdrucke
モネは1903年に描いた作品にも、アメリカでのオークションで、上下逆さまに見えたという評判を聞いて、”サットンというアメリカ人に売らなければよかった”と後悔したとエピソードがありました。(図説 モネ「睡蓮の世界」安井 祐雄著より)
確かに、普通の風景画では雲が上にある構図が見慣れているので、水面での反映という見慣れない構図は当時斬新だったのかもしれません。
「睡蓮」が間近で見れる?日本にあるモネの庭
日本でも高知県の北川村「モネの庭」マルモッタンという観光スポットは、モネの庭を再現し、ジヴェルニーの庭をモデルにした美しい庭園やカフェがあり、睡蓮や藤など、モネが愛した自然の風景が楽しめます。
ぜひ近くに訪れた際は寄ってみてくださいね!
アクセス:〒781-6441 高知県安芸郡北川村野友甲1100番地
TEL:0887-32-1233
開園時間 | 9:00~17:00(最終入園 16:30) |
休園日 | 6月~10月の第1水曜日12月1日~2月末日 |
入園料 | 大人:1,000円 小中学生:500円 小学生未満:無料 団体(10名以上)一般:900円/小中学生:450円 |
まとめ
いかがでしたでしょうか。
最晩年のモネが描いた「睡蓮」の連作は圧巻でしたね。モネの睡蓮は、光や色彩の表現を追求した印象派美術の最高峰とされ、世界中で人気を博しています。
睡蓮の美しい姿を繊細に表現した作品は、多くの人々に感動や癒しを与えています。ぜひ、美術館や特別展でその魅力を体感し、モネの世界観に触れてみてください!
- 参考図書
- もっと知りたいモネ 改訂版 (アート・ビギナーズ・コレクション) 東京美術 高橋明也 (監修), 安井裕雄 (著)
- 図説 モネ「睡蓮」の世界 安井 裕雄 (著) 創元社
- モネのあしあと 私の印象派鑑賞術 (幻冬舎新書)原田マハ
- モネ作品集 東京美術 安井 裕雄 (著)
- クロード・モネの世界: 陽光と色彩のメッセージ 図録 名古屋ボストン美術館