19世紀のフランス生まれのピエール=オーギュスト・ルノワールは、印象派を代表する有名な画家です。
日本でも首都圏を中心に、80店舗ほどある『喫茶室ルノアール』の店名の由来になるくらい、日本人にも親しまれている画家ですが、純粋に生きる喜びや温かく美しい世界を描いた作品の数々は、今なお多くの人を魅了しています。
しかしルノワールは少年時代から、陶磁器の絵付け職人の仕事を産業革命によって機械に奪われたり、晩年は酷いリウマチの病気に悩まされるなど、苦労が多い人生でした。
今回はそんなルノワールの有名な代表作品の数々を、解説を交えながらご紹介していきます。気になる作品がある場合は、目次のリンクから参照してみてください。
- 印象派を代表する画家・ルノワールの作品の特徴
- 印象派を確立するまでの修行時代(20〜30歳)
- 貧困と戦争を切り抜け、印象派を確立した30代
- ルノワールの描いた有名な人物画の作品一覧
- 女とおうむ
- エドワード夫人ベルニエ
- アルジェリア風のパリの女たち
- 花を摘む娘
- 読書をするカミーユ・モネ
- カミーユ・モネ夫人
- 桟敷席
- ブーローニュの森の乗馬
- モネ夫人と息子
- 桟敷席(ボックス席)
- 踊り子
- パリジェンヌ
- モネの肖像
- 猫を抱く女
- 読書をする女性
- 読書をする少女
- 散歩する母と娘たち
- 陽光の中の裸婦
- ショケ氏の肖像
- ぶらんこ
- ムーラン・ド・ラ・ギャレット
- シャルパンティエ夫人とその子どもたち
- ルグラン嬢
- ベールの女
- 劇場にて(初めてのお出かけ)
- 最初の一歩
- ウジェーヌ・ムレールの肖像
- ジャンヌ・サマリーの胸像(夢想)
- ジャンヌ・サマリーの肖像
- 編み物をする娘
- 二人のサーカスの少女(フランシスカとアンジェリーナ)
- ベルヌヴァルの漁夫の家族
- イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像
- クリシー広場
- 舟遊びをする人たちの昼食
- レストランフルネーズでのランチ(漕ぎ手のランチ)
- 湖の近くにて
- 二人の姉妹(テラスにて)
- ルノワールの描いた有名な人物画の作品一覧
- 印象派技法の行き詰まり、古典主義へ回帰をはかった40代
- ルノワールの晩年、病気や妻の死、息子たちの徴兵に耐え最期まで絵を描き続ける
- ルノワールが描いた有名な花の作品一覧
- ルノワールの描いた有名な風景画の作品一覧
- ルノワールが描いた有名な静物画の作品一覧
- まとめ
印象派を代表する画家・ルノワールの作品の特徴
ピエール=オーギュスト・ルノワールの作品は、総数6,000点ほどもあると言われており、モネの作品の総数2,000点と比べると、遥かに超える多作の画家で、78歳で亡くなる直前まで制作をしていました。
ここまでルノワールが生涯を通じて、作品制作に没頭できたのは、元々絵を描くことに史上の喜びを感じ、また、陶磁器の絵付け職人だったため、職人気質で大量に制作へのプロ意識が大きかったこともあったからです。そのため、
- 自身のことを画家ではなく、職人であると自覚していた
- ルノワールにとって、絵を描けることが人生を通しての喜びであった
ことが、ルノワールが生涯にわたって、大量に作品を制作できた大きな要因でした。(ルノワールの人生を描いた映画『ルノワール 陽だまりの裸婦』の劇中で語られてました。)
また、ルノワールの絵画がここまで一般の人々に親しまれている理由のひとつに、彼の描いたテーマが、ありふれた人々の日常の幸せや楽しみ、そして自然や人間の美しさであり、純粋に美しいと感じる対象を喜びに満たされて描いていたからです。
ルノワールの代表作で有名な、【ムーラン・ド・ラ・ギャレット】は、1990年に当時92億円で落札され、世界で最も高価な絵画のうちの1枚になっています。
次にルノワールが巨匠になるまでの生い立ちを簡単に解説します。
画家・ルノワールについて簡単に解説
ルノワールは、1841年にフランスのリモージュという伝統的な陶磁器の生産が有名な町に生まれます。
印象派の画家の中でも、モネやピサロ、シスレーなど中流階級以上の家の生まれだった画家たちに比べ、ルノワールは唯一、労働者階級の出身でした。
そのため、実家は経済的に貧しい仕立て屋の家系で、13歳の頃から陶磁器の絵付け職人となります。ルノワールにとって、この頃から労働=絵を描くということに対してのガッツは、人並み以上だったのかもしれません。
しかし、産業革命の影響によって、陶磁器用のプリンター機械が発明されたことで、大量生産が可能に。絵付け職人の仕事も機械に奪われてしまいました。
その後扇子の絵付けや、カフェの壁画の仕事などで生計を立てていましたが、20歳になる頃から絵の勉強を本格的に始めます。
国立美術学校に通い、スイス人画家のシャルル・グレールのアトリエで絵の修業を始めました。
そこで印象主義の画家になるモネやシスレー、バジールに出会い、印象主義の技法である筆触分割の手法を確立していきました。
23歳の時に画家の登竜門である王立美術アカデミーの公式展覧会であるサロン・ド・パリ展に初入選。画家への第一歩を 踏み出したのです。
印象派を確立するまでの修行時代(20〜30歳)
ルノワール最初の注文で描いた肖像画は9歳の女の子
ルノワールが画家として23歳の時に注文で最初に注文を受けた肖像画。テラコッタ製品の創業者の9歳の娘さんを描かれています。
ルノワール最初の静物画は、生涯にわたって描き続けた『花』
ルノワールの最初の静物画。生涯を通して花を描き続けました。ルノワールにとって、花はリラックスできるモチーフであり、色々な技法や大胆な色使いを試せるモチーフでした。
バルビゾン派に影響を受けて郊外制作
ルノワール初の大作。右の帽子を被っているのは画家のシスレー。机に座ってシスレーの方を向いている男性は、ルノワールの最初のパトロンになるル・クール。立って様子を見ている男性がモネです。
印象派の卵であったルノワールたちは、コローやミレーなどのバルビゾン派の影響を受けて、バルビゾン村の近くに郊外制作で滞在した際に描かれました。
人物画がサロンで初めて入選をはたす
ルノワールの友人の画家バジール。印象派の中心人物であったが、普仏戦争にて29歳で戦死しました。
モネがサロンに入選した作品に影響を受けて描かれたこちらの作品は、ルノワールの当時の恋人リーズがモデルに描かれており、サロン入選作。
シスレー夫妻を描いた『婚約者たち』。花売りをしていたマリーは絵のモデルとしてシスレーと出会い、結婚に至ります。
当時画家とモデルとの間に恋が生まれることが多く、この作品のモデルは、実はルノワールの恋人のリーズだった説があります。
19世紀のフランスはモロッコやアルジェリアがフランス領になっていた時代なので、アラブ系のオリエンタリズムをモチーフにした絵画が流行していました。
『オダリスク』はルノワールの当時の恋人リーズをモデルに描かれ、サロンに入選。オダリスクとは、トルコの宮廷の女奴隷のことで、異国の文化が美術界でも注目されていました。
ギリシャ神話のヴィーナスのような神聖に描かれる裸婦と、後ろに寝そべるパリジェンヌのような近代風の女性が対照的。ルノワールの中で、古典と現代美術との葛藤があらわれている作品です。こちらもサロン入選。
モネと共にパリの町並みを描き、印象派の手法を確立する
本格的な印象派の特徴があらわれた作品。この頃からモネやルノワールの作品は、パレットに出した絵の具を混色せずにキャンバスにそのままおいて、点描で描く筆触分割の手法を考案していきました。
貧困と戦争を切り抜け、印象派を確立した30代
1870年に普仏戦争によって、ルノワールも徴兵されることになり、騎兵隊に入隊しますが、翌年の1871年赤痢の重病にかかり、死の淵をさまよいます。
叔父に看病してもらい、一命をとりとめたルノワールは、動員解除後にパリに戻りました。
この頃のルノワールは、サロンにも落選が続き、恋人のリーズとも破局、家賃も払えずアトリエから追い出されるという人生において多重の苦難が襲いかかります。
しかし、絵を描くことだけは諦めず、パリに帰還後、新たにアトリエを借り、芸術家の集まるカフェで再び人脈を新たに構築していきました。
1874年、ルノワールが33歳の時に、記念すべき第一回印象派展が行われ、1886年までの間に8回開催されますが、ルノワールは第3回まで参加し、その後サロン展の出品に注力するようになりました。
ルノワールの描いた有名な人物画の作品一覧
風景なら、その中を散歩したくなるような、女性なら、その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい
『ルノワール画集 (世界の名画シリーズ) 』ルノワール (著), 楽しく読む名作出版会 (編集) 形式: Kindle版より
と語っていたルノワールの作品は、小難しい知的な芸術論や、政治的な批判を主題にした絵画とは正反対に、自身の直感的な”美”を探求し続けて制作していました。
そのため、ルノワールの描く人物画は、今にも動いて話だしそうな臨場感を持っています。
女とおうむ
1871年,キャンバス,油彩,92×65cm,
グッゲンハイム美術館,Wikimedia Commons
エドワード夫人ベルニエ
1871年,キャンバス,油彩,78.1×62.2cm,
メトロポリタン美術館,Wikimedia Commons
普仏戦争の際に、ルノワールの所属していた部隊の指揮官の妻。軍人の奥様らしい堂々とした佇まいと眼差しが特徴的です。
アルジェリア風のパリの女たち
1872年,キャンバス,油彩,156×,129cm,
国立西洋美術館(東京),Wikimedia Commons
ルーブル美術館にあるドラクロワの『アルジェの女たち』を参考に、輝くような金色や赤の装飾の色彩や、構成を模して描かれた作品。しかしこちらの作品はサロンに落選してしまいます。
花を摘む娘
1872年,キャンバス,油彩,65×54cm,
クラーク美術館,Wikimedia Commons
モネの夫人のカミーユ・モネがモデル。ルノワールとモネは家族で親交があり、同じ風景を同時に描いたりしていました。こちらの作品も、モネの『日傘をさす女』を連想させる美しい作品。
読書をするカミーユ・モネ
1872年,キャンバス,油彩,61×50cm,
クラーク美術館,Wikimedia Commons
モネ夫人がまとっているのは、オリエンタル調のドレスに、背景は日本のうちわが飾られており、様々な異国の文化が一体となった作品。
カミーユ・モネ夫人
1872年,61×50cm,キャンバス,油彩,
マルモッタン美術館,Wikimedia Commons
桟敷席
1873年,キャンバス,油彩,27×22cm,
個人蔵,Wikimedia Commons
桟敷席とは、左右両側と2階席の正面にある上等席のことで、戦争が終わった当時、劇場にて観劇することが市民にとって社交場でした。ルノワールは舞台上の役者よりも、観劇をしている観客をテーマに描きました。
ブーローニュの森の乗馬
1873年,キャンバス,油彩,261×226cm,
ハンブルク,クンストハル美術館,Wikimedia Commons
ルノワールが描いた最も大きな絵で、サロンに出展しますが、落選。この頃ブルジョワの階級の中で乗馬がブームでした。中世のヨーロッパでは、ドレスを着た貴婦人はまたがらずに横乗りで馬に騎乗していました。
モネ夫人と息子
ピエール=オーギュスト・ルノワール『モネ夫人と息子』
1874年,キャンバス,油彩,50.4×68cm,
ワシントン・ナショナルギャラリー,Wikimedia Commons
無邪気に走り回る年齢で、5分もポーズを取るのが難しそうなモネの息子と、モネ夫人が見せる日常のワンシーンや人柄の特徴を瞬間的に見事に捉え、絵の中に表現しています。
こちらの作品は、モネの家の庭で描かれたもので、モネ自身がこちらの絵を気に入り、ずっと持っていたそうです。
桟敷席(ボックス席)
1874年,キャンバス,油彩,80×64cm,
コートールド美術研究所,Wikimedia Commons
こちらは1874年第一回印象派展に出展され、高評価を得た作品。豪華な衣装をまとっている女性はニニと呼ばれていたモンマルトルの女性で、身分は不明ですが、ルノワールの絵のモデルとして頻繁に登場しています。
後ろのオペラグラスで明後日の方向を見ている男性はルノワールの弟。当時劇場は、観劇以外に自身をアピールする社交場であり、一般の観客自身も、周囲の目を意識して舞台に立つような気持ちで参加していました。
踊り子
1874年,油彩,キャンバス,143×95cm,
ナショナルギャラリー(ワシントン),Wikimedia Commons
こちらも第一回印象派展に出展された作品。ドガの作品と間違われることが多かったそうですが、デッサンが下手と酷評されました。
パリジェンヌ
1874年,キャンバス,油彩,160×106cm,
ウェールズ国立美術館,Wikimedia Commons
こちらも第一回印象派展に出展されました。パリで流行っていた最新のファッションに身を包んだ女性を描かれており、舞台女優をモデルに描かれました。
モネの肖像
1875年,キャンバス,油彩,85×60.5cm,
オルセー美術館,Wikimedia Commons
ルノワールは20代で画家を目指し同じ先生の画塾で出会ってから、意気投合し、生涯のかけがえのない友人として、画家活動をお互い支え合い、時には同じモチーフを同じ構図で描くこともありました。
ルノワールの作品には、モネやモネの家族が、度々モデルとして描かれています。
猫を抱く女
1875年,キャンバス,油彩,56 x 46.4 cm ,
ナショナルギャラリー(ロンドン),Wikimedia Commons
読書をする女性
1874-76年,油彩,キャンバス,47×39cm,
オルセー美術館,Wikimedia Commons
少女の後ろから差し込む太陽光の半逆光と、本のページの白い照り返しが反射光となり、少女の美しい輪郭が浮かび上がり、自然の作り出した照明効果がきれいに描かれています。
読書をする少女
1880年,57×47.5cm,キャンバス,油彩,
シュテーデル美術館,Wikimedia Commons
散歩する母と娘たち
1875-76年,キャンバス,油彩,
Frick Collection,Wikimedia Commons
陽光の中の裸婦
1876年,キャンバス,油彩,81×65cm,
オルセー美術館,Wikimedia Commons
『印象派のヴィーナス』とも称されているこちらの作品で、緑豊かな自然の中に美しく佇む女性に降り注ぐ太陽光が肌に当たってきらめいています。
また印象派の手法である筆触分割によって、影は紫色や青など、色とりどりの光の色で構成されていますが、第二回印象派展に出展した際には、光の色彩表現が理解されず、『腐った肉のよう』と酷評されてしまいます。
ショケ氏の肖像
1876年,キャンバス,油彩,47×37cm,
ハーヴァード大学フォッグ美術館,Wikimedia Commons
ヴィクトール・ショケ氏は、まだ印象派が世の中に浸透シていなかった時代に、ルノワールの絵画に感銘をうけます。
第二回印象派展に赴き、自ら作品の素晴らしさについて来訪者に熱弁したそうです。税関吏であったが、絵画のコレクターとして印象派の画家を支えた人物。
ぶらんこ
1876年,キャンバス,油彩,92×73cm,
オルセー美術館,Wikimedia Commmons
ルノワールの印象派中期の代表作品。少女がはにかみながら男性と話をしており、小さい子や微笑ましそうに眺める男性、幸せそうなひとときの情景を描いています。
女性の服にあたる木漏れ日の光の表現が秀逸ですが、当時は木漏れ日を描いた表現した絵画が斬新だったため、服がまだら模様に見える等、鑑賞者から酷評されてしまいます。
ムーラン・ド・ラ・ギャレット
1876年,油彩,キャンバス,131×175cm,
オルセー美術館,Wikimedia Commons
パリのモンマルトルの丘にある風車が目印のムーラン・ド・ラ・ギャレットは、製粉小屋を改装して舞踏場に改装され屋外の庭園でダンスを楽しめる庶民の憩いの場。
ルノワールはこの舞踏場が気に入り、近くにアトリエを借り、毎日通って制作していました。
ルノワールの友人たちがモデルをつとめたこの楽しげな雰囲気の作品は、第三回印象派展に出展されます。
1990年に日本の齊藤了英氏が当時の絵画相場では2位の92億円で落札されますが、バブルが崩壊後に海外のコレクターの元に渡ることに。
シャルパンティエ夫人とその子どもたち
1878年,油彩,キャンバス,154×190cm,
メトロポリタン美術館,Wikimedia Commons
ルノワールが1879年のサロン展にこちらの『シャンパンティエ夫人とその子どもたち』が入選し、大好評でした。背景は日本風の孔雀のすだれ、描け塾には浮世絵が飾られて東洋風の居間が描かれています。
二人の青い服を着た兄弟は椅子に腰掛けているのが弟で、犬に座っているのが姉
同じ時期に第四回印象派展が開催が企画されていたものの、不参加を表明しました。
労働者階級出身だったルノワールは経済的にも余裕がなく、サロン展での成功で絵が売れることの方が重要だったのです。これ以降、ルノワールは印象派展には出展することはありませんでした。
ルグラン嬢
1875年,キャンバス,油彩,81×60cm,
フィラデルフィア美術館,Wikimedia Commons
ベールの女
1875-77年頃,キャンバス,油彩,
オルセー美術館,Wikiart
劇場にて(初めてのお出かけ)
1875-76年,キャンバス,油彩,63.5×50cm,
ロンドン・ナショナルギャラリー,Wikimedia Commons
最初の一歩
1876年,111×80.5cm,
個人コレクション,Wikimedia Commons
ウジェーヌ・ムレールの肖像
1877年,キャンバス,油彩,47×39.4xcm,
メトロポリタン美術館,Wikimedia Commons
ジャンヌ・サマリーの胸像(夢想)
1877年,キャンバス,油彩,56×47cm,
プーシキン美術館,Wikimedia Commons
愛嬌のある笑顔が特徴の、国立劇場の女優。ルノワールがお気に入りだったモデルで、田舎娘役が得意の花形でした。彼女の人柄を示しているようなピンクで彩られ、女優らしい華やかな色彩のオーラを感じます。
ジャンヌ・サマリーの肖像
1878年,173×103cm,
エルミタージュ美術館,Wikimedia Commons
こちらは全身のジャンヌ・サマリーの肖像で、サロンに入選作です。
編み物をする娘
1879年,キャンバス,油彩,62×51cm,
シカゴ美術館,Wikimedia Commons
二人のサーカスの少女(フランシスカとアンジェリーナ)
1879年,キャンバス,油彩,131.5×99.5cm,
シカゴ美術館,Wikimedia Commons
ベルヌヴァルの漁夫の家族
1879年,175.3×130.2cm,
バーンズ財団,Wikimedia Commons
イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像
1880年,キャンバス,油彩,65×54cm,
ビュールレ・コレクション,Wikimedia Commons
サロンでの『シャンパルティエ夫人とその子どもたち』の評判が高く、その後子供たちの肖像画の注文を大量に受けます。
この可憐で大人びた表情の少女は、当時8歳で、裕福な銀行家だったカーンダンヴェール家の長女で、後に伯爵夫人になりました。
クリシー広場
1880年,64×54cm,キャンバス,油彩,64×54cm,
フィッツウィリアム美術館,Wikimedia Commons
舟遊びをする人たちの昼食
1880-81年,キャンバス,油彩,130×175.5cm,
フィリップス・コレクション,Wikimedia Commons
ルノワールの印象派時代の最高傑作となる作品です。この作品を最後に、印象派から離れ、古典主義に向かいます。
この楽しげなパーティが開かれているレストランは、パリ市民の舟遊びの拠点だったセーヌ川の上流にある貸しボート屋の2階にあるレストラン。
登場人物はルノワールの友人たちで、手前の犬と戯れている愛らしい女性はルノワールの将来の妻であるアーリーヌ・シャリゴ、向かいに座る麦わら帽子の男性は印象派のパトロンであり、画家のギュスターヴ・階ボットです。
ルノワールは自身「絵を見た人を楽しい気分にさせたい」と語っていたように、戦争を経験したルノワールにとって、日常の何気ない風景を描けることが、最高の幸せだったのかもしれません。
レストランフルネーズでのランチ(漕ぎ手のランチ)
1880年,キャンバス,油彩,55.1×65.9cm,
シカゴ美術館,Wikimedia Commons
湖の近くにて
1880年,キャンバス,油彩,46.2×55.4cm,
シカゴ美術館,Wikimedia Commons
二人の姉妹(テラスにて)
1881年,100.5×81cm,キャンバス,油彩,
シカゴ美術館,Wikimedia Commons
印象派技法の行き詰まり、古典主義へ回帰をはかった40代
ルノワールがサロン展で成功してから、上流階級からの肖像画の注文が増え、次第に経済的に安定したルノワール。
しかし、印象派の技法は、光を描くことに集中するあまり、輪郭がぼやけ、物体の存在感が薄くなってしまうことへの行き詰まりから、新たな画風を模索していきました。
40代では、アルジェリアやイタリアへ旅行を通して、ラファエロやニコラ・プッサンなどの巨匠の絵から影響を受け、アングル風の写実的で、新たな色彩表現を模索し、輪郭をはっきり描く古典主義の表現手法へ回帰していきます。
雨傘
1881-85年頃,キャンバス,油彩,180×115cm,
ロンドンナショナルギャラリー,Wikimedia Commons
1881年から4年かけて制作されたこちらの作品は、印象派の技法を超えて、ルノワールが新たな絵画の表現様式を模索している段階の作品です。
左の女性は、ルノワールの特徴だったふわっとした筆触から、くっきりした輪郭で描かれ、右の女性と子供たちは印象派の時代の特徴を残しています。
ダンス3部作
19世紀後半には、パリの市民のあいだでダンスが流行し、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場でも描かれていた男女が二人で踊るダンスを画題にした大作を制作します。
ブージヴァルのダンス
1882-83年,油彩,キャンバス,182×98cm,
ボストン美術館,Wikimedia Commons
ブージヴァルはセーヌ川沿いの村で、ダンスをしている女性は画家でユトリロの母となるシュザンヌ・ヴァラドン、男性はルノワールの友人のアンドレ・ロートです。
田舎のダンス
1883年,キャンバス,油彩,180×90cm,
オルセー美術館,Wikimedia Commons
居酒屋にて、楽しそうに扇子を持って男性に身を委ねる女性と、男性もダンス(女性?)に夢中になり、帽子を落としてしまってるところが、陽気で楽しい雰囲気を出している作品です。
女性のモデルは後にルノワールの妻になるアーリーヌ・シャリゴ、男性はブージヴァルのダンスの作品と同じアンドレ・ロートです。
都会のダンス
1882-83年,キャンバス,油彩,180×90cm,オルセー美術館,
Wikimedia Commons
都会の高貴なダンスホールでポーズをとるのはブージヴァルのダンスと同じシュザンヌ・ヴァラドンです。サーカスを怪我で脱退後、ルノワールのモデルになりました。
水浴する金髪の少女
1881年,油彩,キャンバス,82×66cm,
クラーク美術研究所,Wikimedia Commons
ヴァルジュモンの子どもたちの午後
1884年,キャンバス,油彩,127×173cm,
プロイセン文化財団,Wikimedia Commons
女性大水浴図
1885-87年,キャンバス,油彩,118×171cm,フィラデルフィア美術館,
Wikimedia Commons
人と自然の調和を描いた『水浴図』は、古代ギリシャ・ローマ時代から、絵画のテーマとして描かれてきました。
ルノワールも、ヴェルサイユ宮殿のニンフの彫刻や、ルーヴル美術館の水浴をテーマにした作品などからインスピレーションを得て、こちらの大水浴図の集大成を完成させました。
アーリーヌ・シャリゴの肖像
1885年,油彩,キャンバス,65×54cm,
フィラデルフィア美術館,Wikimedia Commons
『田舎のダンス』など、ルノワールの絵画のモデルとして度々登場するアーリーヌ・シャリゴは、お針子出身で、画家のモデルとしても仕事をしてルノワールに出会いました。ルノワールが49歳の時に正式に結婚します。
アーリーヌとピエール(母と子)
1887年,紙・パステル,
クリーブランド美術館,Wikimedia Commons
猫を抱く女性
1887年,キャンバス,油彩,65×54cm,オルセー美術館,
Wikimedia Commons
花束を持つ少女
1888年,キャンバス,油彩,65×54cm,
サン・パウロ美術館,Wikimedia Commons
ルノワールの晩年、病気や妻の死、息子たちの徴兵に耐え最期まで絵を描き続ける
50代から78歳で亡くなるまで、ルノワールは精力的に作品制作に没頭していました。
47歳からリューマチ性関節炎で神経痛に悩まされるようになり、56歳で自転車で転倒して慢性的なリューマチに悩まされるようになり、南仏で療養のため、滞在します。
1914年には、第一次世界大戦が勃発、息子のピエールとジャンが徴兵、さらに翌年に妻のアーリーヌは持病の糖尿病が悪化して亡くなるといった不幸に見舞われます。
しかし、このように苦境に立たされながらも、ルノワールは、晩年には裸婦を主にテーマに描くようになり、温かい色彩と自然と人との調和を描いた史上の楽園を絵の中に描きだしたのでした。
ルノワールは、自身の絵画制作について、なぜ女性や家族ばかり描くのか、という問いかけに、
芸術が愛らしいものであってなぜいけない?世の中は不愉快なことばかりじゃないか
ピエール=オーギュスト・ルノワール -『世界の名画シリーズ ルノワール画集』楽しく読む名作出版会 (編集) より
と述べていました。
ピアノの前の少女たち
1892年,キャンバス,油彩,116×90cm,
オルセー美術館,Wikimedia Commons
1892年にピアノを弾く少女たちが描かれたこちらの作品は、ほぼ同じ構図の油彩5点とパステル1点があります。当時の美術局長官から依頼をうけて制作されたもので、こちらの作品が国家に買い上げられました。
草原にて(花摘みをする少女たち)
1894年,キャンバス,油彩,41×32cm,
メトロポリタン美術館,Wikimeida Commons
ガブリエルとジャン
1895-96年,キャンバス,油彩,65×54cm,
オランジュリー美術館,Wikimedia Commons
ガブリエルはアーリーヌの親戚で、家事や子守の手伝いとしてルノワールの家にやってきました。ジャンはルノワールの次男で、後に有名な映画監督になります。
自画像
1899年,キャンバス, 油彩,41×33cm,
クラーク美術研究所,Wikimedia Commons
ボブを抱くルノワール夫人
1910年,キャンバス,油彩,80×64cm,
ワーズワース・アシーナム,Wikimedia Commons
ルノワール夫人が亡くなる5年前の50歳の時に描かれたもの。ルノワールの妻への愛情を感じます。
白い帽子の自画像
1910年,キャンバス,油彩,42×33cm,個人蔵,Wikimedia Commons
ルノワールの自画像を描いたもの。夫人や子どもたちを描いている時に比べ、背景に暗い影を落としており、穏やかさの中にも人生における悲しみの感情が隠れているようにも見える。
休憩する若い羊飼い
1911年,キャンバス,油彩,73×91.1cm ,
ロード・アイランド・デザイン学校,Wikimedia Commons
アンブロワーズ・ヴォラールの肖像
1908年,キャンバス,油彩,81.6×65.2cm,
コートルド美術研究所,Wikimedia Commons
ルノワールの晩年の20年画商として大きく貢献した人物。手に持っているのはマイヨールの彫像で、ルノワールの描く裸婦が彫刻的な側面があるので、実際に彫刻をしてみるように助言したと言われています。
道化師(クロード・ルノワール)
1909年,キャンバス,油彩,120×770cm,
オランジュリー美術館,Wikimedia Commons
白いピエロ(ジャン・ルノワール)
1901年,キャンバス,油彩,81.2×62.2cm,
デトロイト美術館,Wikimedia Commons
画家の家族の肖像
1896年,キャンバス,油彩,173×137.2cm,
バーンズ財団,Wikimedia Commons
左から、ルノワールの息子ピエール、妻のアーリーヌ、白い衣装のジャン、ガブリエル、赤い服の少女は隣の家の娘が描かれている。幸せな家族の象徴のような肖像画。
浴女たち
1918-19年,キャンバス,油彩,110×160cm,
オルセー美術館,Wikimedia Commons
ルノワール最晩年の傑作です。ルノワールは、晩年に暖かい日差しが降り注ぐ南仏で、地中海の色や文化に触発されて、色も鮮やかで温かみのある華やかなタッチとなります。
こちらは晩年にほぼ車椅子で動けない状態でしたが、可動式のイーゼルを使用して描かれた最期の大作です。
愛する妻の死や息子たちの戦争への徴兵などつらい現実をもろともせず、ルノワールの描いた理想郷なのかもしれません。
手前の腕を組んで横たわるモデルは映画『ルノワール 日だまりの裸婦』でもヒロインを演じ、後に息子のジャンと結婚した女優のアンドレ・エスラン(愛称:デデ)が描かれています。
ルノワールが描いた有名な花の作品一覧
薔薇の花束
1879年,キャンバス,油彩,83.1×65.7cm,
クラーク美術研究所,Wikimedia Commons
アネモネ
1883-90年,キャンバス,油彩,46.2×38.1cm,
ポーラ美術館,Wikimedia Commons
アネモネはルノワールが好きな花の一つでした。赤やピンク、白といった、可憐な花は、ブルーの背景によってより鮮やかさが際立って描かれています。
菊の花束
1885年,82×66cm,キャンバス,油彩,
ルーアン美術館,Wikimedia Commons
ルノワールの描いた有名な風景画の作品一覧
芸術橋
1867年,キャンバス,油彩,60.9×100.3cm,
ノートンサイモン美術館,Wikimedia Commons
1867年にパリ万国博覧会が開かれて賑わうパリの町が描かれました。
ポンヌフ
1872年,油彩,キャンバス,75×94cm,
ナショナルギャラリー(ワシントン),Wikimedia Commons
アルジャントゥイユで制作するモネ
1873年,油彩,キャンバス,47×60cm,
ワーズワース・アシーナム,Wikimedia Commons
草原の坂道
1874-77年,キャンバス,油彩,60×74cm,
オルセー美術館,Wikimedia Commons
強い日差しの元に2組の親子が坂道を下ってくる場面を描きました。日傘の赤と、草原の赤い花がアクセントとなり、見る人の目を引き付け、自然と調和している人物との美しい情景を描きだしています。
また、モネの『アルジャントゥイユのひなげし』にも同様の構図で、坂を下る2組の親子が描かれています。
アルジャントゥイユのセーヌ川
1874年,キャンバス,油彩,50×65cm,
ポートランド美術館,Wikimedia Commons
庭でパラソルを持つ女性
1875年,キャンバス,油彩,54.5×65cm,
ティッセンボルネミッサ美術館
ヴェネツィアのパラッツォ・ドゥッカーレ
1881年,キャンバス,油彩,54×65cm,
クラーク美術研究所,Wikimedia Commons
ルノワールはイタリアに旅した際に、ベネツィアの風景に感動し、大聖堂や図書館などの建築物が水面に反射し、光あふれる印象派の色彩で描いた。
ルノワールが描いた有名な静物画の作品一覧
花束とうちわのある静物
1871年,キャンバス,油彩,74×59cm,
ヒューストン美術館,Wikimedia Commons
日本風のうちわと西洋の薔薇の花束、中国の陶器のような花瓶がが描かれており、和洋折衷が見事に融合しています。
玉ねぎのある静物
1881年,キャンバス,油彩,39.1×60.6cm,
クラーク美術研究所,Wikimedia Commons
桃の静物画
1881-1882年,キャンバス,油彩,38×47cm,
オランジュリー美術館,Wikimedia Commons
花と果物のある静物
1889年,99.7×140.3cm,キャンバス,油彩,
フィラデルフィア美術館,Wikimedia Commons
まとめ
いかがでしたでしょうか。
鳥がうたうように絵を描きたいと語っていたモネに対して、ルノワールは、
「私は水の中に落ちて流された小さなコルクです。私はその時々の気まぐれに従って絵を描くことに身を委ねてきました。」
ピエール=オーギュスト・ルノワール(『Peter H. Feist:Renoir』TASCHEN 丸善洋書センターより)
と語っていました。
ルノワールにとって絵を描くことが、生活の日常であり、人生そのものだったのかもしれません。
見てるだけで幸せになるルノワールの絵画を、美術館で鑑賞する機会があったら、ぜひルノワールが描きだした幸福に浸ってみてください。
- 参考文献:
- 岩波 世界の巨匠 ルノワール』-著者:パトリック・ベード 岩波書店
- 『TASCHEN Renoir』-丸善 洋書センター
- 『ルノワール画集 (世界の名画シリーズ)』-楽しく読む名作出版会 (編集) 形式: Kindle版